隣のハットさん!

隣のハットさん!

ニッポンらぶなハット家のお騒がせ奮闘記 in Canada!!

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ハット家奮闘記。人生につまづいたら、自分の弱さを認める!

人生って予想もしないような事の連続ですよね。2年前の今頃といえば、十数年振りに正社員として働き始めた頃で、仕事に家事に子育てに奮闘する毎日だった。夫と結婚してから最初の10年ほどは専業主婦をしていた私。子供達が小さいうちは、子供に英語を教えたり、在宅で翻訳の仕事をちょこちょことやっていた。その後は、友人の会社設立の手伝いやこの会社の翻訳業務に携わり、一番最近では某インターナショナルスクールの職員として働いていた。この時点で、私はこの学校で長い間お世話になるつもりだったし、カナダ移住なんてこれっぽっちも頭にはなかったのです。

夫も同じで、そろそろ日本在住20年という節目を迎え、仕事も家庭も趣味もそれなりに充実していたと思う。夫は日本が大好きで、日本食も私より好きなくらいで、親父ギャグも日本の親父並みに寒くて、日本人の友達も私より沢山いた。性格上、誰とでもすぐ知り合いになるもんだから、町に知り合いは沢山いて、友人から町長と呼ばれたりもした。「俺は日本で死ぬ。死んでもカナダに遺骨を送るな!」と言っていたくらい、そこらの日本人以上に日本を愛するカナダ人だった。

それが人生の風向きってやつが少しずつ変わってきて、想像もしていなかったような事が次から次に起こり、最後の選択肢「カナダ移住」という道しか残されていない状況になった。進む道は1つ。カナダに移住した私達だったが、その後も風向きは不穏で(不穏どころか不吉すぎて)認知症、強迫観念、嫉妬妄想癖のある義兄と鬱病自殺願望のある義兄のルームメートとの共同生活(プチ介護生活)が始まる。っていうか、認知症の方との同居や鬱病の方との同居はあっても、この組み合わせ2人との同居ってなかなかないでしょ? 今だからさらっと言えちゃうけど、彼らと同居していた当時のハット家はカルチャーショックとホームシックに加え、このオヤジ2人に振り回されて精神的にもギリギリだった(涙)

それに追い打ちをかけるかのように、夫の職探しが難航。経験のある職種から、新しい職種まで、一体何十社に履歴書を送ったことだろうか。そんな時、友人がカーディーラーでの仕事を紹介してくれた。がっ、別の営業所の人に先を越されてしまった。身内が優先なのは仕方がないか。その後別の友人が夜勤のシフトが空いていると紹介してくれ、とりあえず次の仕事が見つかるまでそこで働くことになった。がっ、ギリギリになって友人の上司の息子が横取りして立ち消えに.....この時は、こんな不運ってある!?ってくらい運に見放された気がした。

それから4ヶ月、夫は相変わらず求職中。義兄には高い家賃を払っているのになぜか彼の食事(食費はこちら持ち)、免停になった彼のドライバー(ガソリン代もこちら持ち)、その他彼の身の回りのことをしていることが理不尽に思えて仕方なかった。(他に弟妹6人いるのに誰一人手伝わず、文句だけは一人前だったが。)認知症の義兄は私物を取られないように隠したり、ただ置き忘れたりして、それが見つからないと私たちを泥棒扱いし、しょっ中怒鳴るようになっていた。また毎日のように妹や弟に電話しては、私たちの有る事無い事を吹き込んでいた。そこに自殺をほのめかすルームメートが加わり、精神的にもそろそろ限界だった。

「これは何かの罰ゲーム?」と疑いたくなるようなこの生活は、1通のメールで終止符が打たれる。それは夫の大学院への入学許可だった。夫はカナダに移住したら仕事を見つけ、家を購入して、幸せに暮らしましたとさ的な人生設計を立てていたものだから、大学院は優先順位が低かったのだが、昔から彼の「やりたいことリスト」の1つであった。

大学院を選ぶときも、実家のあるオンタリオ州の学校は見事に出願期限が終わっていて、やっと見つけた1校は願書締め切りまで残り5日というタイミング。しかも実家から2,000km離れたこの学校は、なんと夫が卒業した大学の大学院というから驚きだ。カナダ移住も、プチ介護も、就職難も、全て2,000km離れたこの地で始まるハット家物語の序章だったとしか言いようがない。

日本での余裕ある生活から一転、夫は苦学生になり、自分たちの人生設計は目の前で音を立てて粉々に崩れ去った。追い打ちをかけるように同居していた義兄の突然の死や、夫の家族の一部からの冷たい仕打ちに心が折れそうになる事もあった。

自分の無力さを感じたらあがくな。自分の弱さを認めろ。

人生に迷ったら引き返すな。扉が開くまで叩き続けろ。

あの時点で、自分の弱さしか残っていなかったし、あがきようもなくなっていたというのもある。扉も一体いくつ叩いただろう。複数の扉が同時に開くことはあっても、同時に通ることはできない。これだっ!っていう扉が開くまで辛抱強く叩き続けるしかない。だがその扉が開いたとき、それは自分の最強の強みとなる。

これがハット家のライフレッスン。